言葉の選び方にあなたの無意識の偏見が表れる!?

コミュニケーション

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先日友人と、近所に新しくできたイタリアンのお店でランチをしたときのこと。人は年をとればとるほど、昔からの考え方に縛られがちになるね、という話になりました。そこで頭に浮かんだのが母のこと。彼女は今でも非日本人の人たちのことを「外人」と呼びます。私は友人に “It makes me cringe every time my mom uses this word. I can see a glimpse of her bigotry through her use of words like that(母がこの言葉を使う度に身がすくんでしまう。こういうちょっとした言葉の節々に彼女の偏見が垣間見られる)” と打ち明けました。

今日使うべきではないとされる言葉は数多くあります。例えば英語の “retarded”。もともとは精神障害者を指す言葉でしたが、差別的なので今はほとんど使われることはなく、代わりに “intellectual disability” という表現が好まれます。問題なのは、「頭が悪い」・「アホ」といった意味でスラング的に “retarded” が使われるとき。これは精神障害をもつ人々を侮辱し傷付ける言葉の選び方です。こういった言葉の使い方には、「私たちの無意識の偏見が表れている」と Harvard Business Review の Rakshitha Arni Ravishankar (2020) は言います。

確かに。

・・・

でも、必ずしもそうでしょうか?

友人との会話を思い起こしていて、ふと考えました。母は外国人に対して、本当に偏見を持っているだろうか?外国人の家族・友人・先生・仲間の音楽家など、生活の一部に外国人が存在しているような母が?いつも何気なく使ってきた言葉だから使っただけで、軽蔑的な意味があることすら考えていなかった、ということもあり得るのではないか。

もちろん、これらの差別用語を使わないに越したことはありません。歴史的にネガティブに使われることの方が多かった「ガイジン」をわざわざ選ばずに「外国人」と言えばいい*。黒人には “African Americans” を使うべきだし、アメリカ先住民は “Native Americans”、カナダの先住民は “Inuit” が適切な呼び名です。でも、適切かどうかがそこまでクリアでないことも。よくアメリカのTVドラマや映画でキャラクターが言っている “No can do” という表現があります。「自分にはできないよ」・「無理だよ」という意味のカジュアルな表現なのですが、実はこれ、もともとは中国人移民の英語をばかにしたのが始まりだそう。Isn’t that terrible!? この表現を使っている人の多くはおそらくこの語源を知らないはずです(I hope)。

*辞書にも載っているように、「外人」にも「外国人」の意味があり、「差別用語」ととらえられるかどうかは、相手や文脈によって当然変わってきます。ただ「外人」には、「仲間ではない人」・「敵」という意味があるのも事実であり、さらに排他する目的で多く使われてきた歴史的背景を考慮すると、「外人」よりも「外国人」の方が相手を尊重した言葉であると私は考えます。でもそもそも「日本人」に対する「外国人」というラベルがそこまで必要かというと疑問ですが・・・。

トロント大学ミシサガの言語学者である Ai Taniguchi 教授は次のように言います。”Being an English speaker doesn’t entail that you necessarily know the racist etymology automatically. (…) The fact that you said it, oblivious to the etymology, doesn’t automatically make you a bad person(英語のネイティブスピーカーだから、自動的に言葉の差別的な語源を知っているかと言えばそんなことはありません。語源を知らずにある言葉を使ったからといって、悪者にはならないのです。).” 

まさにその通り。母の言葉遣いも大目に見てあげた方がよさそうです。

ネイティブスピーカーにとってそれほど厄介であるとしたら、英語学習者が、外国語である英語で、適切な言葉選びをするのはかなり難易度が高いと言えます。しかも!こういった言葉の使われ方や良し悪しは常に変化し続けるものです。今日誰もが普通に使っている表現が明日はブラックリスト入りかもしれない(ちなみに「ブラックリスト」も使わない方がいいという意見もあります)。

毎日使う言葉すべての起源を知ることは不可能です。でもだからと言って、コミュニケーションをとる個人としての責任を放棄していいという訳ではありません。だってコミュニケーションには必ず受け手がいますね。前述の Taniguchi 教授は、“‘I didn’t know it was racist’ does not eliminate the pain of the hearer(「差別的な意味だったなんて知らなかった!」と言ったところで、言われた側の痛みが消える訳ではありません)” と述べています。知らず知らずのうちに、私たちが選ぶ言葉で傷ついている相手がいるかもしれない。そのことを自覚すると同時に、適切な言葉の使い方を常にアップデートし続けるのが私たちの責任であると言えます。

実際に持ってもいない偏見を相手に感じ取られてしまうのは困りますし、何よりそれによって相手を傷つけたり、不平等や差別をますます世の中に浸透させてしてしまうことがあってはなりません。

今回の気付き:

  1. 自分が使う言葉に責任を持つこと。適切かどうかわからなかったら聞く。使うべきではない表現を間違って使ってしまったら謝り、そこから学ぶ。
  1. 周りの人の言葉の選び方に対しては寛容でありたい。これまでたまたま学ぶ機会がなかったり英語が第一言語でないために、侮辱的な語源を知らないだけかもしれないから。もし誰かが差別的な言葉を使っても、すぐに「何て奴だ」と決めつけず、その表現が適切でないことを優しく伝え、適切な表現を教えてあげましょう。

母に、「外人」と言う時にどんなことを考えているのかを聞いてみることにしました。そうするとやはり、単に「外国から来た人」の意味で使っていることが判明。また、彼女のお母さんが「外人」と言っていたので何となく自分も使うようになっていた、とのことです。これについて色々話す中で母に、この言葉の歴史的背景とそれによるネガティブな意味合い、そして実際私の夫も多くの友人も、この言葉に傷付けられてきたことを伝えました。 二人とも新しい気付きを得て、すっきりした気持ちで会話を終えました。

ここでもう一つの気付き:

  1. オープンに話そう!オープンな心、相手への好奇心と思いやりを持ち、ネガティブに相手を判断したり相手の言葉に傷ついたりする代わりに、会話の機会としていきましょう。そうすることでお互いをよりよく理解することができるだけでなく、世界をもっと素敵な場所にしていくためにお互いを高め合うことができます。

意図的な言葉選びをすることで、これまで疎外され差別されてきた人たちのサポーターとなり、インクルーシブな社会を作っていけるはずです。私たち一人ひとりがもっている言葉のパワー、日々忘れずに使っていきましょう!

DEI (Diversity, Equality, and Inclusion) にのっとった英語表現を学ぶのに役立つサイトを見つけました。参考にしてみてください!

https://www.apa.org/about/apa/equity-diversity-inclusion/language-guidelines


Resources:

Hwang, P. K. S. (2021, November 30). Words and phrases you may want to think twice about using. CBC/ Radio-Canada. https://www.cbc.ca/news/canada/ottawa/words-and-phrases-commonly-used-offensive-english-language-1.6252274

Ravishankar, R. A. (2020, December 15). Why you need to stop using these words and phrases. Harvard Business Review. https://hbr.org/2020/12/why-you-need-to-stop-using-these-words-and-phrases

RWJBarnabas Health. (n.d.). Say this not that. https://www.rwjbh.org/why-rwjbarnabas-health-/ending-racism/say-this-not-that/

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